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T 英文即解とは何か


1 英文即解とは、英文を英語の語順に即して理解するということです。英文の理解に、伝統的な英文 和訳の方法は使いません。英文から、英語の語順に即して情報を得ることを第一目標とします。


2 伝統的な英文和訳では、まず英文を読み、それを文法的に分析し、日本語に訳して理解する、という方法をとります。これには次のような難点があります。

 @ 英文に即して理解する場合に比べて、二倍の時間を費やすことになります。

 A 完全に日本語に訳してしまうために、情報の把握を日本語の構造で行うこになります。これは 英語を手段として国語力をつけることにはなります。しかし、その反面、情報を英語の構造で 把握するということを困難にします。

 B リスニングの場合にも和訳の癖が出てしまい、ニュースなどの英語についていけないということにもなります。


3 これに対し、英文即解では、英文の語順に即して理解していくことになります。ただし、日本語 を思考言語とする人々にとっては、次のような情報把握・処理の観点が必要になります。

@ 意味のわかる単位で、適当な情報ブロックに区切って読む。

A 重要な情報を中心に把握する。

B 補語・目的語・修飾語などは主語・動詞との関係で倒置法的に理解する。

C 分詞に導かれた長い修飾語句や、分詞構文、関係代名詞節など長い説明は、主節にもどって理解 しようとしないで、樹形図的・付加的注釈的に整理する。(このようなことは日本語でノートをとるときにもしています。)


4 以上の理論を具体例で見てみます。

 たとえば、週刊ST FRIDAY,OCTOBER8,1999に、次のような文があります。これを引用させて いただきます。

 Late Sept.30  the accident  hit  critical  mass,  which  describes  the  point  at  which  neutrons  produced  in  the  fission  process  are  sufficient  to  sustain  a  chain  reaction  without  outside  stimulus.


@ この文は、次のように区切りながら、読みます。

Late Sept.30
the accident  hit  critical  mass, 
which  describes  the  point
at  which 
neutrons 
produced  in  the  fission  process
are  sufficient
to  sustain  a  chain  reaction 
without  outside  stimulus.


A @の作業と同時に、特に重要な情報をつかみ、頭の中で次のように整理していきます。

   重要な情報   それほど重要でない情報
              Late Sept.30
the accident  hit  critical  mass,   ←which  describes  the  point
at  which                      
neutrons   ←produced  in  the  fission  process
are  sufficient                           
to  sustain  a  chain  reaction  ←without  outside  stimulus.


B @Aの作業と同時に、日本語に置き換えてみれば、次のようになります。

 重要な情報 それほど重要でない情報
                           遅く  9月30日
その事故は 
達した  
臨界状態に
 ←それは 言う
 その点を
そこでは                               
中性子が  ←生産された
 核分裂の過程で
充分である                              
維持するために 
連鎖反応を
 ←無しに  
外からの刺激



C @ABの作業の解説
  主節は、「その事故は 達した 臨界状態に」と、まず、主語・動詞をとらえ、目的語は倒置法的に理解します。

   関係代名詞主格・非制限用法によって導かれる「それは 言う その段階を」という部分は情報としては、重要なものを含みません。むしろ後で説明されるはずの「その段階」(臨界状態)の内容のほうが重要です。そこで、この部分は、文法構造上は重要でも、情報としては軽く扱うことになります。

「中性子が」と「作り出された分裂過程で」の部分は、後者を前者に付加された「注」のように理解します。つまり、付加的・樹形図的な理解をするわけです。

 「維持するために 連鎖反応を」の部分に対し、「無しに 外からの刺激」の部分も倒置法的に、あるいは、付加的・樹形図的に理解することになります。

 

 D こうして、上の表の左側に示したような重要情報を中心にとらえれば、特に英文和訳をしなくても、充分な情報把握ができることがお分かりいただけると思います。英文和訳をしないと情報の把握ができないように思ってしまうのは、伝統の中でそのような先入観念を身につけたからにほかなりません。

 もっとも、上のような情報の整理が難しいのではという疑問も出てくるか思います。しかし、 情報の整理は日本語を聞く場合にも行なっていることであり、単語力・文法力・論理性を身につければ、それほどむずかしいことではありません。

E 英文即解は、要するに、日本語を思考言語とする人々の、英文に対する情報処理の能力を、英語を思考言語とする人々のそれと同等程度のものに高めようとするものです。


U 単語力  

英文即解のためには、単語力は欠かせません。これは日本語でも同じことです。そこで、即解講座では、即解に使う文章の中の単語を授業中に覚えてもらいます。

   

単語自体を覚える方法と、文脈の中で覚える方法の二つの方法で覚えてもらいます。単語自体を覚える場合には同類語・反対語・接頭語なども利用します。文脈の中で覚える場合には、即解に利用した文を簡単にして、その文ごと覚えてもらいます。

こうして単語自体を覚えるとともに、単語の覚え方をも学んでもらい、自力で単語力をつける基盤を作りたいと思います。


V 文法力

即解のためには、文法もしっかりマスターしなければなりません。情報の意味や情報間の関係をとらえるには文法が不可欠です。これは日本語でも同じことです。

問題は勉強の仕方です。いわゆる「グラマー」の授業のように文法を文法として解説するのでは、無味乾燥で面白くありません。この講座では、日本語を論理的に英文に変換するという形の英作文作文を通して、日本語と英語との構造・語順の違いを大きくとらえてもらいます。そして、この観 点を常に維持しつつ、より細かな点、より高度でむずかしい点へと接近し、攻略したいと思います。

 このような一般文法とともに、即解の場面では、主に文の構造把握を通して、文法を即解力へ反映させ、生かしていきたいと思います。


W 演習中心主義
 以上のような意味で、即解および単語・文法の学習をした上で、さらに即解に使った文を、日本語から英語に直すことにより、より完璧な知識の定着を図りたいと思います。

 やりっぱなし、話をきいただけで頭から抜けていくということがないように、授業の場で、すべて の事項を身につけてもらうようにしたいと思います。鈴木国語ならではの、リアルタイム演習中心主義の授業です。

ただし、このことは復習がいらないということを意味しません。繰り返し復習することは、どんな知識の習得にも不可欠です。それをしないのなら、勉強する意思無しとみなします。
 

前の回の授業内容の復習テストを、次の回にするという方法も考えています。
 
 なお、ひまなときはウォーク・マンなどで、いつも英語を聞いているようにするだけでも、リスニングの力はかなりつきます。


X ちなみに

  鈴木英語は、「日本語という母国語無しに英語という外国語の習得は困難である」との前提に立ちます。なんとなれば、日本語にもとづいて思考の訓練をつんできた皆さんの思考方法は、日本語の文法や語句の意味と不可分の関係で組み立てられており、「日本語なくしては思考無し」と言っても過言ではないからです。

  したがって、皆さんが英語をマスターするとすれば、それは日本語と英語の二本立てで行こうとするよりも、日本語の延長線上に、日本語の新たな表現方法として英語を位置付ける方が合理的であると考えられます。たとえば、詩の世界では、倒置法などが用いられ、文法的要素が逆転するということがありうるし、語句にも従来の意味とは異なる新しい意味が盛られ、その意味内容が更新されるということも起こりうるわけです。また、擬態語・擬声語などは新しいものが作り出されることも珍しくはありません。

  これと同じように、英語も、本来の日本語の思考方法や意味内容を基準にし、それとの異相を論理的に分析するという方法で考えれば、英語を日本語の新たな展開として位置付けることが可能であるし、単なる暗記主義の弊も避けられるのではないかと思います。

  このような主張に対しては、「私はおなかがすいた。何か食べたい。」というようなことは、わざわざ日本語を持ち出さなくても、日本人だって少し勉強すれば英語で考え、英語で言うことができる、との反論がなされそうです。

  これはそのとおりですが、しかし、このような言葉の表すものは思考というよりも、本能ないし生理的欲求であり、大脳で考えることではなく、小脳の反応に過ぎないわけです。しかも、これらの反応はそれほどたくさん存在するわけではなく、表現するとすれば、あいさつ言葉のように定型的に表現できます。したがって、この種の小脳の反応を大脳で言語に変換して表すことは二歳児程度の能力ですでに十分に可能なことであり、皆さんにマスターしていただきたい思考のレベルとはレベルを異にするものであるといえます。

  ちなみに、日常会話ということが言われ、このような表現が教えられることが多いのですが、幼児ならともかくも、十代半ばから後半以降の人間がこのようなことを話しているのではどうしようもありません。大学を目指すくらいの年齢になれば、例えば、新聞の内容や、読んだ本の内容に関する感想や意見、自分の人生観などもっと話さなければならない重要なことがあるはずです。

  そのようなものはいわゆる日常会話の英語をいくら暗記したところで話せるものではないでしょう。これこそは思考言語である日本語によってのみ考えることが可能なものであり、さらにその基礎として、日本語の次元での幅広い知識や論理的な思考力が必要となります。英語はその思考結果の表現手段とのみなり得るものであるといえるでしょう。

  このような観点からする時、最近は非難されがちな、読解・文法・作文中心の「受験英語」的英語には捨てがたい価値が再発見されることになります。「受験英語だけではいけない。」という指摘は正しいとしても、「受験英語はいけない」というのはどうかと思います。日本語について、「会話だけよい。読解・文法・作文など要らない。」と言われたら、仰天する人は多いのではないでしょうか。

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